私がオンライン化のコンサルになったわけ

私は現在、埼玉県で、夫と、宇宙飛行士志望の息子(中二)、パリコレデザイナー志望の娘(小五)の4人で暮らしています。

娘は今、中学受験のため、めちゃくちゃ勉強を頑張っていて、息子は時期的には反抗期ですが全然平和で、

ゲラゲラ笑い声でうるさいくらいの仲良しファミリーです。


出身は神奈川県で、土木会社を経営していた父と、愛情に満ちた母との娘として生まれました。

父の会社は、父のお父さんが創業し、大きな借金がありました。

その会社を若くして引き継いだ父は、アイデアマンで粘り強く、いつもハングリー精神に満ち、社長のくせに誰よりも働く。

そんな人でした。

父の教え

父とのエピソードで、こんなことがありました。

小学校3年生の時、
私は週末に持ち帰った給食の白衣を、洗濯に出すのを忘れたまま月曜の朝を迎えました。

「おかぁさん、これ洗濯に出し忘れちゃった。」と恐る恐る差し出すと

母は怒って
「そのまま持って行って恥をかきなさい」と言いました。

父は
「今から洗って、ケーボー(父は私をそう呼んでいました)を車で送っていけば、学校が始まるまでに何とかなる!」

そう言って、白衣を洗い、アイロンをかけ私を学校まで送ってくれました。

私は学校に間に合い、白衣のことでクラスの子に迷惑をかけることもなく、事なきを得ました。父はその日、会社に遅刻してしまいましたが…。

母の言うように、私が悪い。

それでも父は、その状況でのベストを尽くし、最後まで諦めないことを、私に背中で教えてくれました。


どんな状況でもベストを尽くすこと。
最後まで諦めないこと。


これらは今でも私が大切に持ち続けている考え方です。

父の話が長くなってしまいましたが、私の話をしていこうと思います。

現在の私

私は現在、自宅で鍼灸院を営んでいる傍ら、東京理科大学という理系大学で、講師をして、鍼灸の理論を応用したストレスコントロールの授業を担当していたり、

市の依頼で公共施設で講座をするなどして、臨床と共に、様々な方法で鍼灸を広める活動をしています。


また、オンライン上で、施術家さんやセラピストさんの知識や技術をオンライン化するお手伝いをしています。

セラピストさんたちの持つ強みや、経験から得た知識や技術から、勝てる領域を発掘して、オンライン化する

それにより、セラピストさんたちは自分が施術するだけでは出会えなかった多くの人々の力になることができます。

またご本人も、より自由な働き方を手に入れることができるんです。

そのお手伝いができることに大きなやりがいを感じています。


今でこそ、クライアントさんにも恵まれ充実した毎日を過ごしていますが、

ここにたどり着くまでには仕事と生活のバランスが取れず過労で倒れてしまったり

心も体もボロボロになって、泣きながら治療院を開けたり

ビジネスの仲間に生き方を否定されたり

施術家としても壁にぶつかったり
オンラインビジネスは、チャレンジしてはトラブルに見舞われ、そのたびに中断し、諦めるということを繰り返していました

そんな私が、なぜ今このような活動をしているのか、その経緯をお話しさせてください。

施術一筋時代に生まれた、ある想い

私はもともと鍼灸師で、結婚前は、9時から21時まで治療院をやっていました。

鍼を通して、人の体と心について様々な話を患者さんとしていました。

そうしている中で、こんな患者様たちと出会ってきました。



ある女性の患者さんは、不妊治療を何度も失敗し妊娠を諦めかけていたそうです。

そんな時、鍼灸院に通うことで妊娠した知人から話を聞き、当院に来て、無事妊娠しました。




またある人は、首のつらさと頭痛で長年、つらい思いをされていました

医者に行っても、事故による後遺症だから仕方ないですねと言われて終わり。

そして、あるきっかけで当院に来るようになり、今までが嘘だったかのように、首は楽になり頭痛は無くなりました


これらはあくまで一例ですが、
鍼灸を知らなかったがために、どちらの患者さんもとても辛い思いをしてきたわけです。


そういった現実を目の当たりにして、私は、もっと多くの人に鍼灸を知ってもらいたい。

そして、つらい思いをしている人たちが、その悩みから解放され、明るい未来を歩み始めるきっかけを作れるような活動がしたい。

そう、強く思うようになりました。

このまま治療院に来てくださる患者様としか話をする機会がないのだとしたら、

私が生涯で鍼のすばらしさを伝えられる人は、本当に限られた人数しかいない。


もっと多くの人に鍼を知って頂く活動が出来たら…

しかし、どうやって多くの人に伝えていけばよいのか…


さっぱりわかりませんでした。

その後、結婚・妊娠・出産を経て、私は母になりました。




過酷だった初めての育児

息子の体が弱かったこともあって、24時間の子育てで心も体もボロボロのスッカスカ。

初めての子供で、小さくて、壊れそうで、わけがわからなくて。

どうして泣いているのか、どうしたら泣き止むのか、そんなことすらわからない状態だったのですが、

追い打ちをかけるように、生後2か月目に息子は風邪をひきました。

鼻が詰まって息が出来なそうで、苦しそうで、でもどうしたらよいか分からなくて。一日に何度も小児科に電話をしていました。

1カ月のうちの3週間は、鼻がズルズル。
やっと治ったと思ったら、1週間程度でまた鼻がズルズル。

鼻が詰まって苦しいからか、うまく寝られず、昼寝も、夜の睡眠も、短時間で起きては泣いて。

私も全然寝られなくて、常にフラフラでした。




そんな状態だったので、
ドクターから2カ月間家から出ないよう指示されたこともありました。

買い物に行くのも、息子がお昼寝をした瞬間にスーパーにダッシュ。

大急ぎで買い物を済ませ、帰宅したら息子が起きていて大泣きをしていたり。
ごめんね、ごめんねって自分を責めたり。

外に出て気晴らしをすることもできず、今思うとほとんど育児ノイローゼだったと思います。

イライラして、息子に大きな声を上げてしまうこともありました。



何かをきっかけにたまたま知った

虐待110番。



「これらの行為は虐待です」と書いてあった項目に

「大きな声で子どもを叱ってしまう」とありました。

それが虐待なら、私、虐待してるんだ・・・。


頭が真っ白になりました。

もう、どうしようも出来なくて、すがる思いで泣きながら、そこに電話をしました。

まだ0歳の息子に大きな声で怒りをぶつけてしまうこと。

育児がつらくてつらくて仕方がないこと。

不安なこと、苦しいこと。全部話しました。

その時電話を取ってくれた相談員さんは、ゆっくりと耳を傾け、一人目の子育てって大変だよね。体が弱いと心配だしつらいよねと、優しく温かく励ましてくれました。

私はぐちゃぐちゃに泣いて、でも勇気をもらって、また頑張ろうと前向きな気持ちをいただいていました。

オンラインデビューのきっかけ

私の子育てが好転したきっかけは身近なところにありました。


私は鍼灸師です。

体が弱かった息子の体を、鍼灸を応用した技術で、強くすることに成功しました。


その方法をやり始めて2週間後、保健センターで集まりがありました。

「また、何か病気をもらってきちゃうだろうな…」と覚悟していました。

というのは、それまでは、外に連れて行けば100%病気をもらってきていましたから。

でも、もらってこなかったんです。

その後、どこに連れて行ってもまったく風邪をひかなくなって、

そのおかげで「子連れで~」というイベントに参加したり、

いろんな場所に一緒に出掛けることができるようになりました。

やっとやっと、私は子育てが楽しめるようになったんです。

体が強くなっただけでなく、

夜中10回も起きてしまうような状態だったのですが、その方法を1カ月毎日続けた結果、起きる回数が激減

起きても1回、そして朝までぐっすり眠ってくれたんです!!


なんでもっと早くこの手を使わなかったんだろう!

こんなに効くのなら、この方法を知って救われるママは絶対にたくさんいる!!!


そう思って、息子が1歳になった頃、
鍼灸を家庭用にアレンジした、スキンシップ健康法の親子教室を地域の公共施設で始めました



シッターさんに来てもらって、息子は同室託児。ママたちに見本を見せる時は息子に活躍してもらいました。

この方法を毎日やっているベテランですから(笑)、すごく気持ちよさそうにモデルをやってくれて、

ママたちに、「いい仕事してるわ~」
なんて言われるくらいでした。笑

夜泣きにすごく効果があると評判になり、口コミが広がるくらいでした。


私だけでなく、たくさんのママたちが
お子さんの悩みを解決し笑顔になってくれた
のを見て、

もっと多くの人に知ってもらいたい!

そう思うようになり、オンライン上で発信することを決意しました!


何ができるか分かっていなくて、ただただブログに講座のことを書いたり、健康に関することを発信したりしていました。

初めて参加したビジネスセミナーで、
当時まだ日本に来たばかりだったFacebookにいち早く参入し、先行者利益を得よう!と言われ、

何がなんだか分からないままに、「何でもいいからチャンスが欲しい!」
そう思って、Facebookを始めました。

その頃の私は、自分自身が育児に非常に苦労したこともあって、子育てでつらい思いをするママが少なくなるように、

いろんな工夫がされた子育て応援総合施設を建てたいという野望が生まれていました。

人生初のコンサルタントも付けて
活動
をしていました。

コロナをきっかけに、ZOOMなどのオンライン会議システムが普及し、今ではコンサルもオンライン完結がスタンダードですが、2010年当時はそんなことはなく、

2週に1度、1歳の息子と、たくさんのおもちゃを車に乗せて、自宅のある埼玉から横浜まで、コンサルを受けに行っていました。


「大切な人を大切にできる働き方」への決意

24時間の育児、
家事・仕事
不慣れなオンライン発信
2週に1度の子連れでの横浜

気付けばいっぱいいっぱいになっていました。そして、無理がたたり、私はダウンしてしまいました。

割れるような頭痛と吐き気。
身体を起こせないほどでした。

ダウンして体を起こせなくなってしまった数日後、息子の2歳の誕生日があって…

でも私は、誕生日ケーキも、
息子の大好きな唐揚げや鳥大根(笑)も、
作ってあげることができませんでした。

死ぬとき、後悔したことの5本の指に入るなと思いながら、布団で一人、悔し涙を流しました。

その時に決めたんです。

「大切な人を大切にできるペースでのみ仕事をする」と。

これが絶対だと、心に決めました。



オンライン発信のペースを落とした私に、ビジネス仲間からは厳しい声がかけられました。

「子育てなんてしていたら、チャンス失うよ。」とか、
「子どもを言い訳にして、成功した人はいない。」とか、

「私はこの期間にこれだけのことをやったよ。本間さんは何やってたの?何もやってこなかったんじゃないの?」

そんなことを言われて、とても悔しい思いも経験しました。


それでも私は、もう大切な人を犠牲にした働き方はしない!という思いを貫きました。

息子は絵本が大好きで、何冊もの絵本を暗記してしまうほど、たくさんの絵本を読み聞かせました。

字が読めないのに、すごく心を込めて、絵本を音読するんです。ページに書いてある文字と、音読している言葉が一致していることに驚きました。

好奇心が旺盛だった息子と一緒に、いろんなところにお散歩に行きました。夕日に向かってたそがれていた背中がとてもかわいかった。

小さなエプロンと子供用の包丁を使ってお料理をしたり、お菓子を作ったり、本当に色々な体験を一緒にしました。

息子が3歳の秋、娘が生まれました。


kindle日本上陸元年に電子出版

娘の24時間の0歳育児が始まり、息子も自宅保育。思い切った仕事はできませんでしたが、オンラインでの発信を続けていました。

自分のペースでコツコツできる仕事なら24時間の育児があっても、スキマ時間でできます。

ビジネスの仲間にどんなにバカにされたって、腐ったりしません。


どんな状況だって、その時々の自分にできる最大のことをやる。そう決めていたから。



2012年、娘が0歳の時
私は9カ月かけて電子書籍を執筆しました。大人気だった親子講座での体験を、まだ記憶が鮮明なうちに、形にしたかったのです。


ポメラという、1秒で起動する小さなワープロのような道具を使って、ほんの2分でも、3分でもスキマ時間ができると書き進めました。

当時は、日本にkindleが上陸すると大騒ぎのときで、私は、その元年に電子出版できたのです。

私にとっては、何気にこの電子書籍がオンライン化の最初の商品となりました。


この電子出版から数年後…

あるママさんから問い合わせが来ました。私の電子書籍を買って自宅で実践しているが実技があっているか見てほしいというのです。

そこで、スカイプという今でいうZoomのようなもので繋がり、実際やっているところを見せて頂きました。

その中で、どこにお住まいなのか伺ったところ、

なんと小樽だと!!!


それを聞いた瞬間
太ももの辺りから鳥肌が立ちました。

普通に治療院をやっているだけだったり、近所で親子講座をやっているだけでは、絶対に絶対に、力になることなんてできない人です。

でも、オンライン上にノウハウを提供していたから場所に関係なく、関わることができた。

本当に驚き、同時に猛烈に感動したんです。

インターネットって、
すげ~~~~~~~~~~~~~!!



言葉が悪いですが、本当にそう思いました。これが、私にとって初めてのオンライン化による感動でした

本当に衝撃でした。



開業。そして再びぶつかる壁

息子が幼稚園の年中の時、自宅で鍼灸院を開業しました。


開業してすぐに予約が殺到し、毎日キャンセル待ち。

多くの患者さんの治療に、私がヘトヘトのボロボロになってしまいました

家事だけでなく、子どもたちの世話もまともにできない。疲れて体は動かないし鬱っぽくなってしまったり。心と身体が悲鳴を上げていました。

体を起こし背筋を伸ばすこと、
足で体を支えていること、
動くこと。すべてが必死でした。

毎朝、泣くのをこらえながら、でもほとんど泣きながら治療院で掃除機をかけていたのを、今でも鮮明に覚えています

つらかった。

そんな状態でも、笑顔で元気にみせないと、患者さんを元気にできません。

がんばってがんばってがんばって。
自分で自分をバシバシ叩いて。

そんな毎日。
自分のことで精一杯でした。


自分の決意に立ち返って

これでは、大切な人を大切にできない

そう思い、施術する患者さんの人数は、あまり多くとらないと決めました。

お客さんに施術した数が収入となってくる個人事業主にとって、客数を絞るというのは、リスクでもあり、勇気のある決断でした。

でも、同時に、多くの人の役に立ちたい。自分の持っている知識や技術を使って多くの人に貢献したい

その想いも諦めたくなかった。だから、オンラインという道を選んだんです


施術は数少なく、
でも、多くの人に貢献できる。
そして、大切な人を大切にできる働き方。

全部叶えてくれるのがオンライン化だったんです。


私のオンライン化の取り組み

対面で対応しない形で提供するメニューを作りました。

1つは耳つぼダイエットというもので、人気がありました。

やり方を動画に撮り、解説書をつけてオンラインで販売。正しくできているかのチェックも動画や写真で送って頂きました。

さらに、毎週メールで課題をだして、実行してもらい、それに対してフォローアップをするという

手厚いサービスを提供していましたが、すべてお客様がご自宅で取り組める仕組みを取りました。

かつ、すべてメールやLINEでのやり取りで、リアルタイムでの対応はありませんでした

そのため昼間、子供たちと接する時間を奪われることもありませんでした。



赤ちゃんのスキンシップ健康法も、公民館での親子講座として続けていましたが、

ある時から、オンライン上でもノウハウを提供するようになりました。


きっかけはコロナでした。



コロナ禍で孤独な妊婦さんや産後のママがいると新聞で知ったんです。

先に述べたように、私はとてもシンドイ育児をしていました。

だから、妊婦さんやママたちの気持ちを考えると胸が痛くて、つらくて、泣けました。

私に何かできないか?私にできることをしよう!と思い立ち、サイトを立ち上げ、オンライン上でノウハウを提供しました


このことは、毎日新聞の紙面と、ネットニュース、そしてLINEニュースにも取り上げられました。



オンライン化を次の段階に。
 → そしてコンサルへ

子どもが大きくなってきて、オンライン化の活動をもっと大きくしようと思い、人生初の経験となりましたが、

7桁を超える大きな自己投資をして、今、もっとも結果が早く出ると言われているインスタに参入しました。

その時は「オンライン鍼灸師」として活動していました。しかし、そうして活動している中で

「どうやってオンラインでやっているの?」

と聞かれることがちょこちょこありました。自分の持つ技術をオンライン化したいけれど、どうやっていいのか分からないと。

そういった話を聞いて、思いました。

私が鍼灸師として活動していたら、つらい思いをしている人たちを笑顔に変えるお手伝いの馬力は1。

でも、様々なお悩みを解決できる技術を持った先生たちのオンライン化をお手伝いすれば、その先生たちの数だけ、馬力が増える。

トータルで考えると、圧倒的に幸せになる人の数が多くなると思ったんです。


だから私は、オンライン鍼灸師ではなく、そういった施術家やセラピストさんたちの技術や知識のオンライン化をサポートする人として活動しようと決めました

オンライン化の可能性

オンライン化は様々な可能性にあふれています。

私自身は「大切な人を大切にできる働き方」というのが一番の目的でオンライン化を活用しています。

私の最優先事項は、今も昔も変わらず子どもです。

今子どもたちは、夢に向かって勉強に励んでいます。

息子の中学受験の3年間のサポートがやっと終わったと思ったら、息子の入試が終わった次の週から、今度は娘の中学入試の塾が開始。

超ハードなサポートを6年間し続けています。

私にとっては、子育てはまだまだ大変ですが、これが実現できているのは

治療院は最小限のお客様だけにしてあとは、オンライン上での仕事。

自由度の高い働き方をしているからなんです。


それから、オンラインの仕事は、仕事をする場所も自由に選ぶことができます

私には、パソコン仕事をする大好きな場所が2つあるんです。

1つは大きな大きな池のほとりにあるカフェのテラス席。

もう1つは、芝生が一面に広がり、その先は森。そんな景色の見えるお店のテラス席です。


青い空と白い雲。そして緑。
自然に囲まれ、太陽の光と、そよそよ吹く風に包まれる空間

私にとって最高に贅沢な時間を過ごせる場所なんです

また、施術の時間を短くしている分、空いた時間を「鍼灸の普及の時間」としても使っています

東京理科大学という大学で、東洋医学視点のストレスコントロールの講義をもう10年以上しています。

ストレスコントロールをきっかけに学生は鍼灸によるセルフケアを学んでいるんです。



また、公民館からの依頼でツボ講座などもやっています。

こういったものも、断らずにやれるのは、オンライン化しているおかげです。


結婚前に考えていたように、治療院だけをやっていたら、とてもアプローチできないような規模で、鍼灸のすばらしさを伝えることができているのです。


そして、忘れてはならないのは、オンライン化で非常に大きな要素である、

「貢献できる範囲が世界中に広がる」

ということ。

今までは出会うこともなく、力になれるわけもなかった場所に住んでいる方のお悩みを解決し、笑顔にするお手伝いをすることができるのです。

海外のクライアントさんはまだいませんが、

東京、神奈川、愛知、福岡と、

日本中あちこのクライアントさんと毎日やり取りしています。本当にすごいことだと思います。

そしてそして、私の原点。

臨床。


これは、一生やめません。

おばあちゃんになって、手が震えて、鍼をするのが不可能ってなるくらいまで、ず~~~っと続けることを決めています。

オンライン上でサービスを提供することも大好きですが、

患者さんに直接触れ、穏やかで、暖かな施術の時間も大好きだから。


そして、これが私のアイデンティティだから。

ただ、オンライン化のコンサルという仕事は、半端な気持ちではできませんから、今は治療院の新規患者さんの受け付けはしていません。

10年以上のリピーターさんなど、太いつながりのある方たちの施術のみ続けています。


大切にしたいものを大切にできる!
多くの方たちに貢献できる!
そして、リアルの施術も続ける。


施術や知識のオンライン化というのは、自由度が高く、理想的な働き方が叶う、感謝にあふれる働き方だと私は思っています。


私の想い

私は一貫して、「大切な人を大切にできる働き方」ということにこだわってオンライン化を活用してきました

もしあなたが、
今の働き方に満足していなかったり、
求めている働き方ではないのだとしたら、


あなたの強み、今まで培ってきた技術や知識を活かしオンライン化して、未来を変えてみませんか?


あなたが思い描く理想の未来に近づくお手伝いができたらこれ以上嬉しいことはありません。

今、インスタで成果を上げるのは難しいと言われてきています。

でも私は、オンライン化のアカウントを立ち上げて2カ月目、フォロワーさんは300人台のときに最初のクライアントさんに、コンサルを買って頂いています

正しく運用すれば、ちゃんとお客様に届きます

あなたの知識や技術を必要としている方たちを笑顔に導けます。

だから大丈夫。

私と一緒に、あなたの理想の未来を叶えませんか?

あなたが、大切にしたいものを大切にしたり、思い描くような働き方を叶えてあなた自身が満たされた生き方ができることを心から、願っています。

大変な長文を、最後まで読んで頂き心から感謝します。

ありがとうございました。